Life has Challenges! しゃら

現実と人生のカラクリを実践中

人生はコントロールできるのか

人生のコントロールってできるんだろうか?

 

こんにちは

しゃらです

 

ただ頑張って生きている人生に飽きてきたころ

やっと自分を見つめ始める

 

わたしの人生ってなんなのだろうと

 

自由に生きているように見える人たちも大勢いる

わたしと一体、何が違うのだろう

人生って、流されるしかないんだろうか?

自分でコントロールできないんだろうか?

 

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そんなとき、魔法の言葉を聞いた

 

何のためにそうさせたの?

 

誰が?

私がだ

 

私は何のためにわたしに思い通りにならない人生を歩かせてきたの?

 

なんのため?

わたしが選んだの?

 

わたしのせいじゃない

わたしが選んだんじゃない

世界がこんな状況だから

こんな家に生まれたから

こんな天気だから

 

違う

だから人生がうまくいかなかったんだ

 

すべては思い通りだった

 

わたしが望んでいた通りだった

 

誰のせいでも何のせいでもない

すべてはわたしが選択した

 

そう考えると・・・

 

私は何のためにわたしにこの人生を選ばせたんだろう

 

ひとつずつ探っていく

 

子供を感情で怒鳴り、罪悪感を感じていた

わたしはなぜ、子供に怒りたくなるような態度をさせたんだろう

わたしはなんのために、子供にあんな態度をさせたのだろう

 

わたしの中の怒りを発散させるため

それもあった

わたしは怒りたかったのだ

 

でももう一つ・・・

 

その日は祖母が老人ホームに行ってしまう日

その日まで一緒にいたのに、わたしは祖母に何一つしてあげられていなかった

言葉も態度も

 

車いすの祖母を、子供が私の扉の前に置き去りにして去っていった

祖母が何か言っていたのに、そのまま行ってしまっていた

 

扉を開けると、一人動けずに困っている祖母

 

この状態もわたしがさせたのだ

怒りがわいてきたことがその証拠だ

 

子供を怒り、祖母を部屋まで連れて行ったあと冷静に考えてみた

 

なんのためにそうさせたのか?

 

子供はわたしに祖母孝行をさせてくれていた!

子供が祖母を置き去りにしなければ、そこで祖母と話をすることも

車いすを押すことも、髪をとかすこともせずに別れていただろう

 

そして何日か経ち、わたしは後悔に陥っていただろう

 

そう考えたら、祖母を大事にしない子供に対しての怒りは

感謝に変わった

 

祖母を大事にしない子供に怒りがわいたのに

本当は祖母を大事にしない自分に腹が立っていたんだなぁ

 

わからせてくれてありがとう

祖母を置き去りにしてくれてありがとう

怒ってごめんね

 

これが事実かどうかなんて、どうでもいい

 

ネガティブだと思っていた現象が、見方を変え、わたしがそれを選んだと

考えたことにより感謝に変わった

 

わたしは祖母を大事にしたかったのだ

でもどう接していいのかわからなかった

 

すべてわたしが仕組んだことなら、何も怖くはない

なんて言える余裕はまだないけど

 

すべてを自己責任だと考えると、人生のコントロール領域は

増えるのかもしれない

 

わたしにはどうすることもできない

動けば動くほど泥沼

 

そんな人生から抜け出せるかもしれない